神様のタイミング

神様のタイミング(221121)

 

 柳家小三治さんが亡くなってしまいました。大好きな噺家さんでした。落語はもちろんの事、ジャズ、オーディオ、オートバイにも造詣が深く、著書も興味深く尊敬を込めて読んでいました。とても寂しい気持ちです。その小三治さんが、「落語は笑わせるものではなく笑ってしまうもの」とおっしゃっていました。大袈裟でわざとらしい芸は良くないと言うのです。彼自身、ずっと自然体で芸も生活も送っていた様です。そんな生き方に憧れていました。なぜかと言うと、私はいつも理由もなく焦って生きてきたからです。「子どもたちの今と未来の幸せ」を目標として自分にプレッシャーをかけて来ました。もっと落ち着いて行動をしていれば、もう少し子どもたちの役に立つ事が出来たのではないか、一緒に働いてくださっている、スタッフには、もう少し迷惑をかけずに済んだのではないかと思います。一番の反省点は自分のタイミングを相手に押し付けてきた事です。思い立ったら直ぐにやらないと気が済まないのです。直ぐに動いて欲しいのです。しかし、これでは駄目なのです。まずは冷静に、考えて、予測して、計画を立てて、実行しなければならないのです。焦っていると目の前に答えがあるのにそれが見えずに失敗するのです。つまり、自分のタイミングは焦った冷静でないタイミングです。そうではなく、少し引いたところで視野を広げタイミングを合わせると上手く行きません。もともとは上手くいく様に神様が計画されているのに、焦りにより台無しにしているのは自分なのだと言う事がわかります。自分の人生は神様のタイミングに合わせて居られれば幸せにしかならないのです。この神様のタイミングは自分の焦りから、かなり遅い様に感じられます。しかし、それは全てにおいてちょうど良いタイミングで物事は訪れているのです。豊かに生きるには自分のタイミングではなく神様のタイミングを意識して、自然体で一つ一つの出来事を味わいながら生きて行きたいと思います。思い通りにならないと思ったら、深呼吸、そして何にでも良いから感謝の言葉を言いましょう。自然体になれる様な気がします。(2021年11月)