一本の矢

一本の矢

 

 「不健康は運動不足と食べ過ぎだ」と養老孟司先生がおっしゃったのを聞いて以来、気をつける様にしています。運動に関しては、ラジオ体操とスローランニングをできるだけ欠かせない様にしていますが、食べることに関してはなかなか難しいです。ネット上で「並んでも食べたいラーメン屋特集」とか、「東京美味しいカレー店10選」とかを見てしまうと、ついつい暗いキッチンに行き、冷蔵庫を開けコソコソとお煎餅やスルメイカを引っ張り出してしまうのです。

「人の行動はビリヤードのボールの様に目の前で起きている現象に影響され、決定する」と聞いた事があります。美味しい特集を見てしまったので、冷蔵庫を開けてしまったのかもしれません。それが全てではないにしろ、大きな影響を与えていることは確かです。

常に誰かの影響を受けて自分の行動が決まる。と言うことは、どんな犯罪でも、自分は全くの関係ないとは言えないと言うことです。悪いことをやった、その人の行為のきっかけの一部は自分が背負っていると言うことになります。悪いのは彼ですが、私であり、あなたでもあるのです。ウクライナで起きている戦争も誰かに責任を押し付けようとしていては解決できないのでしょう。私たち大人の責任なのです。傷つく子供たちを目の前にして本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。では、何ができるのでしょう。気持ちの整理のために自分が正義になるために悪役を作り出し罵倒し攻撃することは簡単です。でも解決にはなりません。明快な解決策は分かりませんが、一矢報いたいのです。その一矢が急所に当たらなくても、次に繋がることを願い信じて打ち続けるしかできないのでしょう。思いを込めて自分の行動と言葉が子供達の幸せに向かうように、深く願って行動と思考の矢を撃ち続けるしかできません。子供たちの今と未来が守り続けられますように、健康が守られますように、嬉しいこと楽しい事が溢れる毎日でありますように、深く祈りながら毎日行動します。目の前の一つ一つ、やらなくてはと思うことをやり続けます。

2022年3月

 

 

プライド

プライド 

「もう一杯一杯でした。挑戦し切った、自分のプライドを詰め込んだオリンピックだった」演技後のインタビューで羽生結弦さんが語った言葉です。4位に終わってしまったものの、ネットのニュースを見ている限り世界の評判はとても良いようです。私も競技の事は分からないながらも録画で演技を見て、とても感動しました。なぜ彼の演技は失敗が有っても感動するのでしょうか?インタビューで彼が語った「挑戦」と「プライド」にヒントがあるように思います。オリンピック競技ですから点数がつき順位がつくわけですが、目的はそこにはなく、自分の演技の高みに対する挑戦とプライド、つまり自分との勝負をしているところに心惹かれるものがあったように思います。日本の選手がメダルを取ってくれれば嬉しいものの、この感動とは感じる種類が違うように思いました。長引くコロナ禍によって、頑張ったところで大きな流れを変える事はできない現実を思い知らされました。しかし、それは自分の思いを諦める事とは違います。周りが変わる事を望むのではなく、自分が変わることにより自分の思いに近づける事しか出来ないと思い知ったのです。思い通りに行かないという事は、自分の側にまだ改善しなければならない点があるという事だったのです。試行錯誤を繰り返し質の高い自分、或いは自分の思いを進化させなければ、うまくは行かないのでしょう。変われるもの(自分)を変えていくと、変えられないもの(周りの環境)も変わっていくのです。コロナ禍が過ぎたとしても、これからの時代は、他人の決めた目標や尺度で生きるのではなく自分で決めた評価や価値観で生きていくことが、ますます大切になってきます。慣れるまでは競争社会以上に苦しいことかもしれません。なぜならば、他人の尺度ではないので誰かのせいにする事はできないからです。全ての結果は自分の責任です。そうすると自分で考える能力、思考力がさらに重要な時代になっていくという事です。自分が自分である責任を持たなければ生きていけない時代なのかもしれません。羽生選手からプライドとは「他人の作った評価軸で生きるのをやめて自分の価値観で楽しみながら挑戦し続ける事なのだ」と教えてもらった気がしました。

2022年2月

 

 

 

 

子どもが一番(本当に大切なものを大切に)

子どもが一番

 

 先日、街を歩いていると、子どもが泣きながら、「抱っこしてー。抱っこしてー」とお母さんに手を伸ばしていました。お母さんは怖い顔をして無視し続けています。子どももお母さんも、とても悲しい気持ちだと思います。私自身も息子が幼かった頃に何度か経験した場面です。大切で可愛いからこそ、どうしたらいいのか分からず、悲しいし怒りが込み上げてくるのです。叱ってしまいます。そして、状況は悪化します。私は今だからこそ、子どもの気持ちも少し分かるのですが、子どもは、まず悲しい気持ちを分かってほしいのです。そして受け止めてほしいのです。親にしてみれば、時間の制約も、教育上の思いもあって、これ以上、子どもの言う事を聞いてあげられないと思い、「何度言ったらわかるの。何度してあげたら気がすむの」と言った気持ちになり、怒りが湧いてきます。でも子どもにとっては、片手間に相手にされても満足は得られないのです。ですから、一旦、次の予定は無視して腹を括って子どもと向き合わない限り、泣き止みません。足を止め抱き上げて抱きしめてあげて下さい。あなたがお母さんにとって一番なのだという事を明確に伝わる様に向き合うのです。子どもの不安を取り除く事が大切です。その上で、子どもに相談すると良いと思います。5分ほどで十分です。次の予定やお母さんが困っている事を話して下さい。その時の注意は、本当のことを正直に話すと言うことです。大袈裟や嘘は駄目です。そして、自分が主語で話して下さい。お婆さまがかわいそうだから、とか、お父さんが怒るからではなく、お母さんはこうしたいと思っている。困っている。と話して下さい。子どもも安心できれば、お母さんの役に立ちたいのです。納得してくれます。それでも駄目なら、次の予定はキャンセルしましょう。こどもより大切なものなどないのです。またの機会がありますし、多くの場合はリスケジュールができます。立てた予定や小さな優先順位など捨てていいのです。子どもが一番大切。他人に気遣いのできる優しい人ほど悩んでしまう事が多いのですが、一番大切なものを一番に大切にしましょう。(2021年12月)

 

 

 

神様のタイミング

神様のタイミング(221121)

 

 柳家小三治さんが亡くなってしまいました。大好きな噺家さんでした。落語はもちろんの事、ジャズ、オーディオ、オートバイにも造詣が深く、著書も興味深く尊敬を込めて読んでいました。とても寂しい気持ちです。その小三治さんが、「落語は笑わせるものではなく笑ってしまうもの」とおっしゃっていました。大袈裟でわざとらしい芸は良くないと言うのです。彼自身、ずっと自然体で芸も生活も送っていた様です。そんな生き方に憧れていました。なぜかと言うと、私はいつも理由もなく焦って生きてきたからです。「子どもたちの今と未来の幸せ」を目標として自分にプレッシャーをかけて来ました。もっと落ち着いて行動をしていれば、もう少し子どもたちの役に立つ事が出来たのではないか、一緒に働いてくださっている、スタッフには、もう少し迷惑をかけずに済んだのではないかと思います。一番の反省点は自分のタイミングを相手に押し付けてきた事です。思い立ったら直ぐにやらないと気が済まないのです。直ぐに動いて欲しいのです。しかし、これでは駄目なのです。まずは冷静に、考えて、予測して、計画を立てて、実行しなければならないのです。焦っていると目の前に答えがあるのにそれが見えずに失敗するのです。つまり、自分のタイミングは焦った冷静でないタイミングです。そうではなく、少し引いたところで視野を広げタイミングを合わせると上手く行きません。もともとは上手くいく様に神様が計画されているのに、焦りにより台無しにしているのは自分なのだと言う事がわかります。自分の人生は神様のタイミングに合わせて居られれば幸せにしかならないのです。この神様のタイミングは自分の焦りから、かなり遅い様に感じられます。しかし、それは全てにおいてちょうど良いタイミングで物事は訪れているのです。豊かに生きるには自分のタイミングではなく神様のタイミングを意識して、自然体で一つ一つの出来事を味わいながら生きて行きたいと思います。思い通りにならないと思ったら、深呼吸、そして何にでも良いから感謝の言葉を言いましょう。自然体になれる様な気がします。(2021年11月)

幸せになる能力2

 

脳科学的に言えば「幸せになりたいか、なりたくないかは、自分の選択なのです。幸せになりたいのであれば、そのような行動を取れば良いのです。早起きをし、太陽の光を浴びて生きていることに感謝し、セロトニンの分泌を向上させ、家族とハグをして深く愛情を感じ、オキシトシンの分泌を向上させ、仕事や勉強に目標を持ち達成する毎に自分を褒める事によりドーパミンを分泌させ、さらに高い目標に向かって行くと、どんな高い目標も達成することができるのです。つまり、人生は思い通りに自分をコントロールできるようになり必ず幸せになるのです」これが幸せになる脳の使い方だと思いますし、この様な生活を目指したいと思います。

しかし、わかってはいるもののなかなか上手くいかないのも現実です。早起きができないだけで後悔します。2から3日続くと、「もういいや」と、ルーチンが重荷になって来て不幸どころか、自己否定をし始めてしまいます。大切なことは、このローテーションを知った上で、もっと自由に気楽に生きることが大切なのだと思います。気楽に平常心を保ち穏やかに生きることなのです。

その為に一つだけいつも心がける様にしています。それは「愛情の循環」です。日々の生活の中で人はたくさんの愛情をもらって助けられて生きています。その事実を確認するだけでもセロトニンが分泌される様に思います。私の場合どんなに目覚めが悪い時も、悩み事がある時にでも先ずは「神様、あなたが共にいてくださる事を感謝します。」と口から出す様にしています。自分の思いや気分とは関係なく、そうすると決めているのです。そうすると、何かのスイッチが入ります。感謝すべき、色々な事が思い出されます。幼稚園の子どもたち、スタッフ、家族など、心から感謝することが出来ます。そして、平安と希望が得られます。年齢のせいかもしれませんが、この幸せな感覚だけで十分な様に思いますが、セロトニン的幸福を十分に感じられれば、オキシトシン的幸福につながり、機会があればドーパミン的幸福に繋がります。自分の脳を上手くコントロールして、幸せな気持ちで、子どもたちの今と未来の幸せを更に考え続けたいと思います。

(2021年10月)

幸せになる能力 1

 

朝になると好きなコーヒーを水筒に入れておいてもらって、いつでも飲めるようにしています。直接飲める形の水筒なのですが、自分の気に入ったカップで飲む方が美味しく感じます。多分、自分にとってコーヒーを飲む行為は水分やカフェインの補給だけでは無くて心のゆとりを持って幸せを感じ大たりする大切な時間なのです。ほんの小さなことですが、幸せ=生きるエネルギーが大きくなっている事に気が付きました。

長年、「子どもの今と未来の幸せ」について考えて色々な本も読みました。脳科学については特に興味深かったです。愛情や気持ちの問題を科学にされると、教師生活40年(余りのながさと自分の未熟さに愕然としています)の私にとっては少し穏やかではない気持ちですが、大変に興味深いものがありました。脳で分泌される幸せを感じるホルモンはたくさんあるようですが、セロトニンオキシトシンドーパミンがかなり大切な要素を含んでいる様です。それぞれに役割があり、大まかに分けると、セロトニンの働きとは心と身体を健全にしてくれ、オキシトシンは他人との繋がりによって生まれ、暖かく幸せな気分になれる働きをしているそうです。そして、ドーパミンは成功などの嬉しい時に分泌され快感を味わえるそうです。安心ホルモン、やる気ホルモン、快感ホルモン。との分類をしている先生もいらっしゃいました。幸せの方程式は、まずセロトニンで身体的に健康な状態でいて、オキシトシンで豊かな人間関係を作り、ドーパミンでやる気になって、色々と挑戦し快感を得る。と言った流れになるのが理想かも知れません。

つまり、幸せを感じる。或いは幸せになる為には、自分で幸せになると決めて獲得していけば誰でも幸せになるということです。幸せは与えられたり、運命的に出会えたり、誰かが与えてくれるものでは無いのです。自分でその能力を獲得していく事しか方法はないのです。自分で幸せになると覚悟を決めて幸せに、なっちゃいましょう。(次号に続く)

(2021年9月)

命の重さ

 

コロナ禍の中で命についても改めて深く考えさせられました。誰の命も尊く、価値の違いなどないと思っています。しかし、命は大切だけれども、守る事が大切なのではなく、命を使う事つまり生きる事。生き生きのびのび生きることが大切だと思います。

先日、YouTubeで落語会の配信を見ました。最近、落語界に集まってくるお年寄りが多いそうです。「皆様コロナ話怖くないのですか?」と聞いたところ「初めのうちは怖がっていたけれども、こんなになに長く続くと、落語会に来られる様になる前に寿命が来ちゃいそうだよ。同じ死ぬなら落語を聞いたほうが得じゃないか。」と言っておられたそうです。お年寄りの力強さを感じました。コロナ禍で自分の命を守るために家に引きこもっているだけではつまらないと思います。このお年寄りも又、命を守ることよりも、幸せに生きることの大切だと思われたのでしょう。

以前に命について教えられた事があります。ちょんまげ隊長のツンさんはご存知でしょうか?各地でボランティア活動をしている方なのですが、その一つに、ネパールの子どもたちに日本で古着になったダウンジャケットを届ける活動をしておられます。一枚の写真を見せられて「峯村先生、これが何を意味しているかわかりますか?」と聞かれました。それは抜けるような青空の山岳と子どもたちの笑顔が映っていました。「良い笑顔ですね。」と何も読み取れず答えました。しかし、良く見ると、そこに映っていた子どもたちはTシャツ姿、後ろで少しだけ映っているお父さんたちは綿入りのジャケットを着ているのです。つまり此処の標高は高く寒いと言う事です。「子どもを一番に考えられるのは豊かな状況の時で、貧しくなれば、まず守らなくてはいけない命は働き手の命。つまりお父さんの命を守れないと、一家は食べる事ができなくなるのです。」と教えられました。ショックでした。子どもを愛し、大切な気持ちは同じでしょう。しかし、現実の厳しさを考えるとその優先順位は変わってくるのです。守りたい命と、守らなければいけない命。どちらも大切な命。コロナ禍で終戦記念日を迎え色々と考えさせられました。(2021年8月)