ロシア特殊部隊の教え(平常心)

 

ロシア特殊部隊の教え「システマ」それは戦場という極限状態でも生き残る為に考え出されたメソッドだそうです。本を読み興味を持ったので、インターネットで検索して、その関連の記事も読んでみました。結論から言うと「深呼吸をして平常心でいる事」がその奥義の様です。「深呼吸なら毎朝のラジオ体操でしているじゃないか」初めは少しがっかりとした気持ちになっていました。しかし、平常心を心掛け、できるだけ呼吸に注意しながら生活をしてみると、沢山の気づきがありました。苦手な状況の時は呼吸が浅く早くなって平常心を失っているのです。そんな時は良いアイディアが浮かばず曖昧な判断をしてしまいがちです。後になって、もっと良い判断があったと悔しくなる事がよくあります。逆に、落ち着いて気持ちよく過ごしている時の呼吸はゆっくりと深くなります。湯船に浸かっている時は一番ゆっくりと深い呼吸になり、そんな時は考えの整理が上手く出来ます。

自分の能力を引き出すためには潜在意識をうまく使う必要があると言われています。それには呼吸を意識してうまく利用するのだと言う事がわかって来ました。呼吸は意識的に潜在意識に働きかけられる唯一の動作なのです。呼吸は無意識にしていますが意識的にすることも出来ます。心臓や血流などを意識的に操作することは出来ません。つまり、潜在意識に意識的に働きかけられる唯一の方法なのだそうです。

私は一生懸命生きることが良いことだと信じて来ました。失敗は自分の努力が足りなかったのだと思い続けていました。しかし、深呼吸をし、平常心でいることを心がけてみると色々な問題の見え方がかなり変わって来ました。現在のコロナ禍も予想と違えばすぐに平常心を失いそうになりますが深呼吸をして平常心を取り戻すと自然に不安が消え現状を把握し適した判断ができます。

 平常心、平常心と思っていても、瞬間的に平常心を失うこともあります。それでも次は深呼吸をして次の対策を考えましょう。今は幸せになる為の途中過程なのだと気が付きます。むかっと来たら深呼吸。怒った後でも深呼吸。大丈夫、幸せにしかなりません。

(2021年7月)

 

 

 

 

「あなたはとても大切で価値のある存在」なのです。

 ワクチン接種さえ始まれば、この騒ぎは収束するものだと思っていました。陽性者数が減ったりとか、新薬が発見されたりとか、何かが変わることを期待しているうちは何も変わらないのだという事なのでしょう。外的な要因はどうすることもできません。だったら自分が変わるしかないのです。先が見えない不安はあります。しかし、先が見えなのですから、考えられない事は、神様や運命に委ねるしかないのです。思い悩む時間は無駄な時間という事です。それよりも現状を楽しみましょう。この状況になって良かった事を数えるとかなり沢山あります。出張が減り、飛行機にならなくても済む様になった。気の進まないお付き合いが減った。1日の生活に時間的ゆとりが出来た。など、数えたら切りがありません。どんな状況にあっても受け入れて楽しむしか幸せになる方法はないのです。コロナの終息を待ち望むより、この状況下での新しい幸せを見つけましょう。大丈夫です。幸せにしかならないのですから。

 5月のシンガライフに書かせていただいた文章に少し加筆と変更をさせていただきました。

 

「あなたはとても大切で価値のある存在」なのです。

 

60歳を過ぎて気がついた事があります。今までは自信や自己肯定感には根拠が必要だと思って来ました。しかし、出来なくなる事が増えてくる年齢になると根拠のある自信は崩れやすい事に気がつきました。崩れない自信は根拠が無いけれども真実である事なのです。そして、幸せに生きて行く上で、崩れてはいけない自信は「私はとても大切で、価値のある存在である」という事です。すぐに納得は出来ないかもしれませんが、目の前のお子さんを見て下さい。文句無く「とても大切で、価値のある素晴らしい存在である」と言えるでしょう。根拠は無いけれども事実であると確信出来ます。そして、自分自身にも幼い頃があり、同じ目で親に見られていたのです。ですから、あなたも「とても大切で、価値のある素晴らしい存在である」のです。自信を持ちましょう。何が出来ても、出来なくても。何を持っていても、いなくても。友達が沢山いても、いなくても。「あなたはとても大切で価値が有る素晴らしい存在なのです」これは、理解するレベルでは無く、心と体に染み込ませて欲しいのです。そして、他人の評価になんか頼らないで生きて行きましょう。良い奴だなんて言われなくて良いのです。君は友達だなんて、言われなくて良いのです。だから、嫌な事を言われたら怒りましょう。相手の力が強かったら逃げましょう。そんな時だって「あなたはとても大切で価値が有る素晴らしい存在なのです。」逃げることは恥でもなんでもありません。衝突を避けて平和に暮らすために、逃げてあげているのです。生きる目的は勝つことではないのです。幸せになる事です。立ち向かわなければいけないのはその相手ではなく、自分の中のネガティヴな気持ち、幸せになれる事を信じられない気持ちです。不安が襲ってきたら、鼻から息を大きく吸って、ゆっくり口から吐き出しましょう。もう一度、もう一度。明るい未来が信じられるようになります。頭に酸素が回って平常心が取り戻せます。大丈夫、大丈夫。「あなたはとても大切で価値のある存在」なのですから、明日には必ずもっと良い事があります。

 

コロナ禍により小中高生の自殺が増えているとの報道がありました。また、旭川では信じられない様ないじめにより被害者が自殺(他殺の可能性もあるとのこと)するという痛ましい事件が起きてしまいました。とても悲しい気持ちで一杯です。それと同時にこの社会を作ってきた大人の一人として申し訳ない気持ちでいっぱいです。「本当に、本当に、ごめんなさい」二度とこの様な事件が起きない様に、祈ります、行動します。

 

安心していいんだよ

 なかなかコロナ禍が収束しない中、私自身は2回目のコロナのワクチン接種も無事済ませ、多少の不調はあったものの問題なく元気です。しかし、まだまだ規制があり海外への移動は簡単ではなく以前の様な状況にもどるには時間がかかるのかもしれません。

 人は意識しないと自然にネガティブな思考になるそうです。色々な不安材料はありますが何とか解決できている事を感謝したいと思います。思い悩むと心も身体も調子が悪くなります。自分の力で解決できない事は神様にお任せしましょう。時間に任せましょう。結果は必ず良くなります。人生は素敵です。無いものねだりをするのではなく、今ある幸せをいっぱいに感じたいと思います。

 3月のシンガライフに載せていただいた文章に少し加筆致しました。

 

 

安心していて良いんだよ

 

「勉強しろ」は逆効果!と言う記事を見つけました。全く効果がないばかりか、心理学的には反対の効果が出るそうです。論理的にわかりやすく書かれていたので納得は出来ました。しかし、試験を前にテレビやゲームにかじり付いている子どもを見ると、ついつい「そんなことをしていて良いのか」「試験の準備は大丈夫か」と言いたくなるのが親心です。

 何故、そんな意味のない事を言ってしまうかと言うと、親自身が子どもの課題(子ども自身が考えて判断して行動するべき問題)に介入し不安になり、その不安に耐えられなくなり、ついつい出してしまう言葉なのです。つまり、自分の不安を無責任に子供にぶつけているだけなのです。26歳の国家試験を迎えようとする息子を前にして、やっとそんな気になることが出来ました。

自分の不安を他人にぶつけたり、他人の不安を肩代わりしようとしたりすると、不安が増大し問題が生じます。アドラーが言っている課題の分離とはこの事の忠告なのかもしれません。他人の課題に介入すると必ずと言って良いほど問題が生じます。自分の課題は自分で考えて自分で決断して自分で行動する以外に解決の道はないのです。他人から意見を聞いたとしても自分なりに考え判断しなければなりません。問題は形を変えて何度でもやって来ます。自分で考えて行動した場合、失敗したとしても欠点はすぐに分かります。次に同じ様な問題が起きた時には、そこに気をつければよいのです。誰かの真似や他人任せで解決した場合、失敗してもその原因はわからないままなので次も解決はできないのです。自分で考えて自分で決断して自分で行動する。この自立のプロセスなしに成長や幸せはないのです。自分で判断することは苦しいし怖いです。なぜならば、他人の責任に出来ないからです。しかし、それが生きている意味であり、自分の人生を生きる為にはそこを楽しむしか無いのです。大丈夫です。人は幸せになる為に生まれて来たのです。幸せにしかならないのです。不幸は本来幸せになるはずの人生なのに不安を受け入れてしまった結果です。「安心して良いんだよ」自分に言い聞かせながら不安を心から追い出しましょう。安心して幸せになりましょう。 (2021年4月1日加筆)

 

 

幸せの種

お詫び

月日の経つのは早いものでブログにアップするのをサボって数カ月が過ぎました。すっかりご無沙汰いたしまして申し訳ありません。シンガライフに書かせていただいた文章を少し書き加え、ブログとして発信させて頂いております。気持ちを新たに再スタートしたいと思っておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 幸せの種 (2020年8月)

 

久しぶりに息子とお酒を飲みながらいろいろな話をしました。息子だと言う甘えもあり、政治、経済、教育論などを熱く、と言うよりも怒りを込めて激しく語ってしまいました。すると息子が呆れたように「お父さんはよくそこまで他人のことに熱く怒れるね!」と冷静に一言。さーっと我に帰り反省しました。ある仏教の長老のお話を読み、怒りの感情からくるものは破壊のエネルギーしか産まない事を知り、60歳の誕生日を迎えてからは、なるべく怒りの感情を抑え、心穏やかに暮らそうと決めていたからです。

 その長老のお話は「人は怒りの感情と愛の感情の二つの感情だけで生きて居る。」と言うのです。そんなことはないと思われるかもしれませんが、暗い気持ちや嫌な気持ちも怒りの気持ちに分類されるのです。要するに、愛の感情以外は怒りの感情の種のようなものなのです。見分け方は、自分に「今は喜びを感じているか、楽しいか?」を問いかけ、直ぐに「はい。」と言えれば愛情の感情の状態です。それ以外は怒りの感情が入り込んで居るのです。では、どの様に怒りの感情をコントロールしたら良いのでしょうか?私にとってなかなか難しい事です。怒らなくすることに意識するよりも幸せの種を失わない様にと考える方がコントロールしやすい様に思います。さらに、幸せの種を増やすために、いつもワクワクして楽しいことを見つけながら生活したいと思っています。怒りの種などは入り込めなくする作戦です。どんなに辛く嫌な事にもプラスの面は必ずあります。このコロナ禍の中でも嬉しい発見がたくさんありました。当たり前に生活していた日常のありがたさ、特に毎日子供達と過ごせることがとても幸せな日々であり、エネルギーをもらっている事。先生方の能力が高く子どもたちへの愛情が深い事などを再認識させられ誇らしく思いました。素敵な事を探して、見つけて、喜んで、感謝しましょう。幸せの種を沢山増やしましょう。そうしていれば怒りの種は消えて行くと思います。大丈夫もっともっと楽しい人生が待っています。そう信じています。

 

「よく頑張りました。」「よく出来ました。」

「よく頑張りました。」「よく出来ました。」

 

6月2日火曜日から少しずつ幼稚園を再開することが許されました。園児に会える喜びを表す言葉が見つからず辞書を使い探してみました。幾つかの言葉の意味を読んでいるうちに自分の気持ちに一番近い言葉を見つけると言うよりも、むしろ自分の気持ちがはっきりと分かってきました。今の気持ちに一番近い言葉が欣喜雀躍(きんきじゃくやく)「小躍りして非常に喜ぶ。」でした。安心しきっての大きな鳥が跳ねるような大喜びではなく。多少の心配はあるものの、湧き上がる嬉しい気持ちは「雀が跳ねるように小躍りして喜ぶ」感じなのです。以前の様に安心して落ち着いた日々を取り戻すまでにはまだ時間がかかるかもしれませんが、子どもたちの笑顔に会えることが何よりも嬉しいのです。もう少しの辛抱です。もう少しです。子どもたちは良く我慢したと思います。大人は理屈をつけて論理的に納得する術を知っています。それを知らない子どもたちはとても大変だったと思います。そして、そのお子様を励まし勇気づけ支え続けたお母さま、お父さま。本当にご苦労様でした。「よく頑張りました。」と言って握手をしたい気分です。また、手前みそで大変恐縮ではございますが、限られ制限された状況でもYouTube、zoomから心のこもった発信を続けてくれた先生方に心から感謝と共に園長としてとても誇りに思っています。

ゴールは見えてきました。あともう少し、もう少しです。こんなウィルスには負けないのです。大丈夫、明けない夜はりません。楽しみ続けましょう。そして笑顔でお会いしましょう。「よく頑張りました。よく出来ました。」

 

パルティにインタビュー記事をとても上手くまとめていただきました。スプリングには短いコメントを掲載して頂きました。お時間のある時に一読ください。

パルティ:  https://partisg.com/interview/home-learning-5/

スプリング:  https://spring-js.com/expert/14698/

 (2020年5月30日)

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ライオンの様に雄々しく堂々と立ち向かって行きたいものです。2014年8月南アフリカ

 

 

子どもに選ばれた親 1,2,

  子どもたちを幸せにする為に、お父さん、お母さん、が出来る一番大切な事は何でしょうか?それは、お父様、お母様自身が明るく幸せであることです。サーキットブレーカー中、子どもたちが、この環境を受け入れる事は難しいと思います。そして、愛する子どものために何とかしてあげたいにもかかわらず、何ともできない現実に直面し、その怒りとやるせなさでご両親のストレスは更に大きくなっているものと思います。そんな時だからこそ、優しい気持ちになるために子どもの生まれて来た時の事を思い出しては如何でしょうか?

  生まれた前日は何処で何をされていましたか?陣痛が始まった時は何をしていましたか?何時頃どの様にして病院に行かれましたか?どんな風に生まれましたか?陣痛の痛みに耐えながら、何が一番心配でしたか?何を願っていましたか?子どもが生まれた時、初めに誰に何と言いましたか?思い出してみてください。きっと優しい気持ちになれると思います。

「子どもに選ばれた親1」は脳性小児麻痺で苦しんだ姉と両親を思い、「子どもに選ばれた親2」は自分の息子との事を書きました。少しでもお子様とご自身に優しくなれれば幸いです。(2020年5月14日)

 

子どもに選ばれた親 1(2007年10月)

 

先日、ハロハロ(療育のボランティア)でバーベキューをしました。子ども達、お父様、お母様、ボランティアの方々。楽しく穏やかな時を過ごしました。大久保代表率いるボランティアとその家族もさることながら、集まったご家庭のすばらしいこと、本当によいご家族ばかりです。そんなご家族の様子を見てある詩を思い出しました。エドナ・マシミラ作「天の特別な子」という詩です。

 

この地のはるか遠い天で、こんな会合がもたれました。

「さあ、次の赤ちゃんが生まれる時が来ましたよー」と天使達が言いました。

「ああ、でも主よ、この子には特別な愛とケアが必要です。

この子の成長は少しばかりゆっくりで色々な事が出来ないかもしれません。

彼が地上で出会う人々には色々お世話にならなければなりません。

彼は他の子のように走ったり遊んだり上手く考えられないかもしれません。

わからないことや、出来ないことも多いでしょう。

だから、私達はこの子をどこに送ろうか慎重に決めなければなりません。

彼がこの地上で最高の幸せをつかむ為に、主よ、あなたに代わってあなたのようにこの子を愛し育ててくれる最高の両親をどうか探してください。

この子が生まれたとき、その両親は特別な使命に最初気がつかないでしょう。

しかし、この子は天から送られた子であって、この子を通し、彼らはさらに強い信仰と豊かな愛を抱くようになるのです。

天からのこの素晴らしい贈り物を愛し育むことによって彼らはすぐにその与えられた最高の特権に気がつくことでしょう。

彼らに委ねられた、このあまりにも柔和で穏やかな尊い授かりものこそ、天の特別な子なのですから」

 

障害があるとわかってから、たくさんの心配があったでしょう。たくさんの不安があったでしょう。受け入れるまでに果てしない落胆の日々があったでしょう。私の姉も障害を持っています。お人好しの父と頑張る母、姉もやっぱりこの父と母を選んだのでしょう。父は他界し、一人で暮らす母にとって、100%の愛情を受け入れる姉の存在はとても大きなものです。親孝行を一番しているのは兄でも自分でもなく、障害を持った姉のように思います。

 障害を持って生まれると言う事は、人と違う苦労は多少増えますが、決して不幸なことでも、かわいそうなことではありません。子育てはどんな子どもも苦労はつき物です。それをどのようにうまくよい方向に考え乗り越えるかが大切なのだと思います。

 

 

子どもに選ばれた親 2(2007年11月)

 

  最近の高校生は他人をほめることがとても下手なそうです。自分自身もほめられると、どのように反応していいのか分からず不思議な気分になる子どもが増えているそうです。ほめられた経験が少ないのです。愛を表現された経験も少ないのではないでしょうか。子どもが小さなうちはすべてが可愛く、いるだけで心が安らぎ愛情もかけやすいのです。歩いたり、喋るだけでほめることも簡単に出来ました。誰と比較することなく、その子どもだけを見つめ喜べたのです。しかし、体も大きくなり声も変わり、口から出る言葉は反抗的なものばかり、どこをどのようにほめようか、愛そうか考えてしまいます。そんなときに思い出してください。子どもが自分たちを選んでくれたことを、自分たちを頼りに天から来たことを。

 子どもを叱りたくなったとき、しっかりと子どもの目を見つめましょう。すると、この子が私たちを選んでくれたことを思い出します。感情的にならずに話ができます。子どもも聞く耳を持てるようになります。良いところが見えてきます。愛おしくほめるべきところがたくさん見えてきます。

  我が家の息子は反抗期真っ盛りの中学1年生、腹が立つことばかりでも、それでもやっぱりとても大切な宝です。瞳の奥から伝わってくるものは幼いころの親を求める純粋な彼の心です。選ばれたわれわれ親はそのことに恥じないようにちゃんとしているでしょうか。いまでも選ばれる資格があるでしょうか。子どもの問題は殆ど親が原因を作っています。悪いのは親なのです。親自身が自分を見つめなおさなければいけないのです。子どもを変えるためには親が変わるしかないのです。さて、どこからはじめましょうか。息子と顔を合わせたときに、文句からではなく、ほめることからはじめてみようと思います。(後日談、息子と肩を組もうとしている父に息子いわく「お父さんもそろそろ子離れしなきゃね。」だそうです。)

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カワセミ

 

いじめ(2006年11月)

 2006年に福岡県で中学2年生がいじめを苦にして自殺した事件が起きた直後の文章です。先生として、園長として、父として、深く考えさせられた事件です。いじめの解決方法は先生としても親としても本気である事を子どもに伝える事だと思います。特に親としては、「私はあなたを心から愛している事、いつでも一緒に戦う事、それでもだめなら家族で引っ越して新しい人生をやり直していいと言う事。」これをきちんと言葉で伝える必要があると思います。いじめられると親に遠慮しがちで恥ずかしくて言えない子どもが多いようです。なんとなくではなく、何度でも言葉で伝える事が大切なのだと思います。多感な時期の子どもの命を守りましょう。幸せになりましょう。

で、迷ったらいつでもご相談ください。一緒に悩みましょう。(2020年5月)

 

いじめ(2006年11月)

 日本ではいじめの問題がまた、クローズアップされています。もしも、自分の子どもがいじめられて自殺したら、決して許すことが出来ません。対処しなかった学校も、担任も、そしてそれを止められなかった自分自身も。▼子どもたちと付き合って来て約20年がたちます。色々な子どもがいました。状況や年齢が違っても共通して言えることは大人側の本気をすぐに見破るということ。子どもたちは何度も大人を試してきます。決して負けず、本気であることを分からせます。特に問題を抱えている子どもたちには、自分が大切に思っていること、何とか助けたいと思っていることをきちんと伝え、腹を据え時間をかけること、先生と生徒というよりも一緒に考えて一緒に抜け出そうという気持ちが大切です。▼「なんでいじめはいけないの?」このことにきちんと答えられる先生がどれだけいるのでしょうか。もちろん正しい答えなんてありません。しかし、先生が本気で考えた答えがあるかどうか。本当に生徒の痛みを自分の痛みとして感じようとしているかどうかが問われます。けんかもいじめも心の成長に不可欠です。問題はいじめやけんかを通して人間関係や心の痛みを学ぶことが出来たか、放って置かれたかです。その場できちんと指導されれば子どもたちは多くのことを身をもって学べます。しかし、放っておかれれば暴力や人を傷つけることに鈍感になりエスカレートしていきます。いじめられる側もいじめる側もどんどん追い詰められていきます。最悪の結果いじめられる側は死に追いやられ、いじめた側はそのことの重大さにショックを受け立ち直れないほどの自己嫌悪に陥り大きな罪の意識を持ったまま生きる。或いは、友人の心の痛みも或いは死に対しても鈍感になりどんどんと自分がコントロールできなくなり更に凶暴になる。いじめる側が加害者でいじめられる側が被害者ではなく、指導できない先生や大人が加害者で子どもが被害者なのです。▼「何でいじめはいけないの?」「いじめているとね、君が不幸になるんだよ。人を信じられなくなるんだよ。いじめられることに怯えなきゃならなくなるんだよ。大切な君が幸せになるために、素敵な人生を送るために人をいじめてはいけないんだよ。」「自分を大切にして欲しい。逃げてもいい、がんばれなくてもいい、だめでもいい、かっこ悪くてもいい、生きることが大切なんだ、今、あなたがそこにいることが大切なんだ、あなたはとても価値のある人間なんだ。あなたを必要としている人がたくさんいることを理解して欲しい。死にたいほどつらい思いをしたならなおさら、あなたを必要としている人が今も未来にもたくさんいるんだよ。」

 

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